2019年12月で92歳になる母のことを書きます。小さな母から学ぶ大きな愛です。見るとほんとビックリします。身長140センチ位、いや腰が曲がっているので、もう少し 小さいかもわかりません。体重28kg位で小学生低学年位でしょうか ? 体型と全然違って 凄い根性をしています。最近私が、再確認したことがあります。
いろいろ教えてもらった母ですが、2019年7月29日残念ながら亡くなりました。
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小さな母のどこからそんなパワー がでるの?
今年の1 月に、私が風邪を引いてしまいました。1週間ほど ぐずぐずしていましたが、市販の風邪薬でよくなりました。母には移らないように、注意していたのですが、 案の定移ってしまいました。近くのお医者さんに行ったら、「インフルエンザです」と言われビックリしました。
インフルエンザの予防接種を受けたのだけど、と思ったのですが先生から「予防接種受けたからインフルエンザにかからないということはありません 。かかっても軽くなるだけです」と言われました。 すぐにタミフルのお薬をもらって様子をみることになりました。2日後にかなりよくなり安心していたのですが、3日後に 慌てる事態になりました。
朝食なのになかなか起きてこないので、10時頃起こしに行きますと、目は閉じています。「お母さん、朝パン食べよう」と声をかけているのに何の返事もありません。頬っぺたを軽くたたいても、なにも言わないのです。「もう、早く起きいよ」と言って無理やりにソファーに座らせるとまた 横になります。
ジィーっと 顔を見てみると、舌がクルリと巻いているではありませんか。「わぁ、これはちょっとおかしい」と思いお医者さんと思ったのですが 、今日は休みどうしょう。しかたない救急車お願いしょう 。電話 をしたら、すぐに来てくれました。救急車の中で、受け入れてくれる病院を探して いるのですがなかなか決まらないのです。私も不安になってきました 。
病院での長い時間
やっと決まり病院に着くなり 検査になりました。待合室で待っているのですが、落ち着かなく、行ったり来たりウロウロ2時間ほどかかったのでしょうか?先生から「肺炎です。直ぐに入院してください。病室 が空いていないので、ちょっと探します」
また、30分位 待って入院先が決まりました。入院して、ショッキングなことに担当の先生 より「かなり高齢ですので、本人の体力次第です。できるだけのことはします」私の頭真っ白 です。「お母さん頑張って、これからもっと親孝行をしょうと思っているのにどうしょう どうしょう」
とりあえず姉に電話をしました。「えぇ、 肺炎。わかった。明日行くから頼むわね」兄は仕事しているので、夜に連絡しょう。 離れている妹にも連絡すると「えぇ ほんとわかった。 大丈夫なん。また行く様にするわ」
母を思う大きな愛
翌日姉夫婦が来てくれました。「お母さん、頑張ってね。早く良くなってよ」声を掛けると「うん、わかった」と言ってまた、目をつぶっています。やはりしんどいのかなぁと思って見ていると、「ありがとう。来てくれて」ちょっと笑っている感じ。1時間位してから、帰って行きました。
2日後、妹夫婦が来てくれました。「大丈夫か。まだまだ元気でいてよ」「うん、わかった。遠いとこから来てくれてありがとう」ちよっと元気そうな様子。妹も安心して帰って行きました。3日後、兄が来てくれました。「お母さん、大丈夫か。元気出しや」少しだけいて、すぐに帰って行きました。
母にとっては、子供が来てくれたことで元気が出てきた様子。それからは、びっくりするぐらいの回復力。口癖は「負けてたまるか」と言うのです。どこからそんなパワーが生まれるのでしょうか?一日も早く家に帰りたい一心で頑張ったと思います。
病院の先生も「すごいねぇ、よく頑張りました。これなら退院してもいいでしょう」と言ってもらって12日間で退院することになりました。
まとめ
母の存在が私の生きがいです。落ち込んでいる時は「前に目が付いているけど、後ろには付いていないやろ。だから前を向いて歩いていかないと」と教えてくれます。「あぁ、なるほど、そうやなぁ」と考え直し、勇気をもらっています。
またある時は「大丈夫、大丈夫。なんとかなる」とも言ってくれます。どこからそんな強い気持ちが、でてくるのでしょうか?父と結婚してからは、お舅さん、お姑さんとなかなか難しい間で苦労していたように思います。子供のために頑張ってきた、と聞いたことがあります。
「なにくそ、負けてたまるか」といつも心の中で言っていた母。ほんと強いです。私が母の面倒を見ていますが、経済的・精神的には助けてもらっています。「強いなぁ」と誇らしげに思うお母さん、元気で長生きしてね。楽しくやっていこうね。親孝行するからね。
そう思っていましたが、残念ながら2019年7月29日「急性心筋梗塞」で、11日間入院して戦っていました。最後まで「生きよう」としていた姿を誇らしく思います。
お母さん、ありがとうございました。ゆっくり休んでください。